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Sahara Oasis , Sahara
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Sahara Oasis , Sahara
土壁の集落と、ナツメヤシの木陰にひらけた小さな農園。原野のなか、宝石のようにちりばめられたオアシス。そこには慎ましやかな、そして平安に満ちた暮らしがあった。集落手前には質素な墓地がある。村の創始者、あるいは聖者を葬ったマラブートと呼ばれる白塗りの墓を中心に、そこにはおびただしい数の墓標が並んでいる。それは、このちっぽけなオアシスが、長い年月、何世代にもわたって脈々と生き続けてきたことの証しなのである。
オアシスの生命線は、山の斜面の地下水脈からトンネルによって導かれてきた1本の水道である。オアシスまで引かれてきた水は、そこで無数の細い水路に枝分かれしてそれぞれの農園に導かれてゆく。水路は蒸発からまもるために、幅5センチほどの毛細血管のようなコンクリート溝なのである。緑の苔(こけ)に縁取られた溝をちょろちょろと流れてゆく、か細い水流が、何百年にもわたって生命をはぐくんできたことを思うと、オアシスにあって生命とは、水そのものであることを再認識させられる。
オアシスの暮らしを底辺で支えているのはナツメヤシである。味が干し柿に似て糖分たっぷりの保存食となる実はもとより、繊維質のしなやかな幹は垂木(たるき)や柱として、木材のない砂漠の唯一の建築材である。そして葉は、日除(よ)けや小屋葺(ふ)き、あるいはカゴや帽子などの手工芸品の材料、また樹皮の繊維は縄の材料として、オアシスの生活ばかりか遊牧民にとっても欠くことができない。
オアシスで、ある家族と知り合った。家には老夫婦と2人の息子たちの嫁、その子供たちがいた。狭い農地ではとうてい自給はできず、息子2人は家族を残して遠くの町に出稼ぎに行っていた。生活の面倒はもとより、息子たちは、敬虔(けいけん)なムスリム(イスラーム教徒)である両親の、一生の願望であるメッカへの巡礼を、なんとか果たさせようとして必死に働いていた。それから5年後に再び家族を訪ねてみると、歳(とし)を重ねた両親は2年前にメッカ巡礼をすませ、ハーッジュ(女性の場合はハーッジャ)の称号を得て穏やかな日々を送っていた。
つぎにオアシスを訪ねたのは、さらに14年後の ’93年のことであった。村には舗装道路が延びて電気が通じ、土壁の家の何軒かにテレビのアンテナが立っていた。あの家族を訪ねてみると、老夫婦はすでに亡くなっていた。2人が葬られた墓地に行ってみたが、墓碑銘のないただの石を置いただけの土葬跡は、砂に薄く覆われ墓の痕跡は消えつつあった。
墓には、オアシスで飲み水を入れておく素焼きの壷が手向けられてあったが、日射しに灼かれ流砂に洗われて徐々に崩れ、元の砂粒に戻りつつあった。だが地中の死者たちは、いずれ天地終末の時には晴れ晴れと復活するのである。コーランは、信仰深く善行をなした者には、尽きることのない泉と緑陰に美女たちがかしずく、永遠の楽園を保障している。
「異次元の大地へ」2000年7月、高知新聞社刊行予定より