サハラの南縁、砂漠とサバンナの境界域一帯はサヘルと呼ばれている。サハラ奥地の無人地帯を縦断してはじめてサヘルに入ったのは、1975年4月のことだった。猛烈な暑さだった。摂氏50度近い気温、雨期を間近にひかえて湿度が高いうえに連日砂嵐が吹き荒れ視界は閉ざされていた。砂丘が美しい北部の砂漠を、灼きつくされた後のあっけらかんとした静寂に例えるならば、サヘルは、熱風に煽られ燃えさかる野火の真っ只中であった。
そんな荒れ地で、おびただしい数の牛の群れが、熱風の枯れ野を足早に移動してゆくのにたびたび遭遇した。大柄な牛たちはどれも痩せ細っていた。牧場の囲いのなかに寝そべる牛たちとは違って、それらは、生存競争を生き抜いている野生動物の面構えそのものであった。牧童に率いられた牛たちが目指すのは井戸であった。井戸には牛のほかに、ラクダ、山羊などあらゆる家畜がひしめき、大勢の男たちが水くみに奔走していた。たったひとつの井戸になんと厖大な生命が群がっていることか。
そこでは、つるべを引くのはラクダやロバなどの家畜だった。驚いたことに家畜の引くつるべは、井戸端から100メートル近くも延びている。100メートルの深さの井戸なのである。乾きゆくサヘルでは井戸は年々掘り進められついにこの深さにまで達しているのである。
井戸端にはコンクリート造りの水槽が設けられてあり、それに水が溜められるのを牛たちは少し離れて、飢えた眼差しで見守っている。牧童がリーダー牛の角を軽く叩くと群れは水に殺到した。牛たちは、角をガチガチとぶつけあいながらむさぼり飲む。飲み終えると、うしろで待機している次の群れのために牛たちはすぐに水場から引き離されてゆく。つるべは井戸端から四方に向かってひっきりなしに引かれていた。つるべは、木製の滑車を使っており、引きはじめると“キュル、キュル、キュル、、、、”という、悲鳴にも似た音を立て車軸と滑車は軋(きし)むのだった。突風が吹き抜ける度に砂ぼこりが視界を灰色に閉ざしたなか、滑車の軋る音だけが、あたかも生命の慟哭であるかのように響き渡っていた。
それから10年後、アフリカ大干ばつの年にその井戸端を通りかかった友人の報告によると、井戸の周りは足跡ひとつない流砂に覆われ静まりかえっていて、生き物の気配はなかったとのことであった。ところがそれから6年後に私が行ってみると、昔ほどの数ではないにしろ家畜が群がり、以前同様、つるべを引く滑車は甲高い軋み音を立てていた。地下水脈が甦っていたのである。
地上は以前と同様に熱風と砂ばかり。ここでは生命とは、地底100メートルに湛えられた水そのもののことなのである。人間の身体であれ家畜であれ、この土地で生きるということは、循環してゆく生命の水をいっとき湛えておく水袋なのである。
「異次元の大地へ」高知新聞社刊より