2003年の秋、秘境ブータンに行ってきた。輝けるヒマラヤ連峰の麓、うっすらと紅葉した山肌を舐めるように下降したドゥク・エアー機(ブータン国営航空、80人乗りジェット機を2機保有)で谷間のパロ空港に降り立ったとき、言葉にならないノスタルジーに包まれた。なんというか、ふるさと高知の山里の部落に、突如ジェット機で舞い降りてしまったような、そんな錯覚を覚える佇まいなのである。
秋空の下、山里の田んぼでは稲刈りの最盛期だった。裾の短い着物に似た民族衣装(男性用は「ゴ」、女性用は「キラ」と呼ぶ)を着け、鎌を手に家族総出で取り入れにいそしむ情景は、セピア色の写真で記憶している大正時代の日本の農村を彷彿とさせた。そして南アジアでは見たこともない、木材をふんだんに使った土壁の家々のたたずまいには、伝統農村の重厚さが滲み出ていた。さらにブータンならではの光景であるが、屋根一面に冬の保存食となる唐辛子が干してあり、その強烈な赤が澄み渡った秋の日射しに映えていた。昨今の日本の屋根に目立つのは、ソーラーシステムの太陽電池であるが、味付けの強烈な辛さがブータン人の伝統的なエネルギー源なのである。
そして、走りはじめて間もなく、度肝を抜かれたのは、あちこちの農家の壁に堂々と描かれた、勃起した巨大なポー(男根)である。同じく建物の四隅や戸口の上にも、木を削ったポーと剣をクロスさせ縄でぶら下げてある。15世紀に生きたドルッパ・キンレイという名の高僧の持ち物で、魔除けなのだという。なんという大らかさ。
ちなみにブータン中部には、ドルッパ・キンレイさんを祀った寺があり、子供を授かりたい女性参拝者たちで賑わっていた。参拝者たちは、存命中には女性たちに悦びを授けたというキンレイさんの持ち物をまねたポーで頭や身体をさすってもらい、子宝を授かると感謝をこめ、その子の名前の一部にキンレイの四文字を付けるのである。女系社会で、伝統的に夜這いが盛んでそのまま居着いてしまうので、ブータンには形式ばった結婚式の習慣がないという。
1時間半のドライブで首都ティンプーに到着。人口5万の谷間の首都の外れには、国王執務室と仏教界最高権威が住むブータン聖俗界の中枢、タシチョ・ゾンが威容を誇っている。そしてすぐ隣には豊かな棚田がひらけていて、ここでも取り入れの最盛期をむかえていた。刈り取った稲はその場で束を石に打ちつけて収穫する。そして農婦たちが風に飛ばして選別していた。少し離れて観ていると、籾を笊から落としながら農婦たちは軽く口笛を吹いていた。案内人に聞くと、風を呼んでいるのだという。風音を真似ているのである。ブータンでは、首都のいわば”霞ヶ関”界隈で、農婦が優しげに風を呼んでいるのだ。一仕事区切りがつくとお茶の時間となり、私たちも呼ばれ、煎り米を振る舞われた。香ばしい甘みに懐かしさを感じながら、21世紀初頭の地球上に、こんな国がまだ残っていたことの不思議を私は噛みしめていた。
「異次元の大地へ」高知新聞社刊より